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更新日時 2008年12月20日 (第二部 卒業後の出来事 建築会社→飛込み営業マン→クレジット詐欺)
建築会社

高校を卒業し、母親の家を飛び出すと同時にお金も底をつき、働かないと明日から食べていくお金がまったくなかった。
この当時は、相当ヤバイと思いましたね。

どうやってお金を稼ごうか考えていた時、野球部の同僚から建築関係は日給が高いよ!と教えてもらい、早速、電話帳から土木建築系にガンガン電話して日雇いの仕事を探した。

即日、お金が貰いたかったので、何件電話をかけてもなかなか条件があわず苦しんでいたところ、偶然繋がった会社が某町田にある建築会社だった。
電話を受けた奥さんも優しそうな方で、給与も働いた日に即日、現金で手渡してくれると言う。
私が求めていた雇用イメージとばっちり合っていた為、早速、
「すぐにでも働かせてください!」の一言で建築会社の仕事を始めることになる。

初出社の日、まずは、社長に挨拶をして、会社の入り口で従業員の方を待っていると建築系とは思えない、金髪系のホストっぽいお兄さんが登場。

この「ホスト風の方」との出会いも、後に私の人生に大きな影響を与えることとなる。

仕事は、建築でも営繕(何でも屋)というジャンルになる為、大工、建具、左官、溶接、ハツリ、水道、クロス、ペンキなど何でもやった。
穴掘りや、セメントの練りには相当自信があった。

よく左官屋の職人さんに「君、いい練りするねぇ〜!」などとよく言われていた。
ちょっと嬉しい!

この仕事のお陰で、色々な職人さんとも出会えたし、色々な仕事もやらせて頂いた。
毎日、トラックに乗って、違う現場、違う職種の仕事をするので、飽きなかった。

相変わらず、私は、帰る家や住む家がなかったので、何となく成り行きで、金髪ホストさん(以下ホストさん)の家に、ホストさんの同級生(以下マーキーさん)と共に住まさせてもらい、三人の共同生活がスタートした。
この共同生活では、書ききれないほど、色々な出来事があった、とにかくめちゃめちゃ楽しかった。

ある時、ホストさんのアパートの脱水機が突然壊れ、洗濯天国と言うコインランドリーに毎日洗濯に行くことになった。
洗濯天国には、某大学の柔道部員も一杯来ており、その場で裸になって柔道着を洗っている姿がとても印象的だった。
毎日、夜な夜なバイクで洗濯天国に行って、煙草を吸いながら先輩達と色々語ったなぁ〜!

夜ともなれば毎日のように駅前のカラオケに行って深夜まで歌っていたし、パチンコ、パチスロにもよく遊びに行った。(パチスロのテクはホストさんから伝授)
朝の会社出勤では、バイク通勤だったので、毎日がバイクレースだった。
ホストさんがDT220、私がVFR400、マーキーさんがDT50だった。
勝敗は、ホストさんが必ず1位で私が2位でマーキーさんが3位だった。
毎日チキチキマシーン猛レース状態でしたね。

※私も若かったので、勝つために信号まで無視して、今では考えられない無茶なこともしていた・・・

ホストさんやマーキーさんとは、毎日こんな楽しい生活を共におくっていたので、めちゃくちゃ仲が良かった。
しかし、私の駄目な所は、的確に叱ってくれる良き先輩でもあった。

今まで、先生などに注意されても心から素直に聞いたことは一度もなかった私だったが、尊敬している先輩から、

「これからも一生付き合っていくヤツだと思っているから、言わせて貰った・・」

と叱ってくれた一言が私の心にグサッ!と突き刺さったことを今でも覚えている。

今まで私にそんな言葉をかけてくれた人はいただろうか?

厳しくも愛情を感じるありがたい言葉だった。
この一言が、社会人として重要な、親しき中にも礼儀ありという事を教えてもらい、また、共同生活は一番下である私が率先して働かなくてはいけないという当たり前のことを教わった。

私も体育会系出身なので、このようなことは当然やらされていたが、自ら率先してやりたいと思い行動していた訳ではなかった。
野球部時代から、自ら進んで先輩の手伝いをしてした訳ではなく、軍隊のような上下関係の中でやらないと殺されるからやっていただけに過ぎなかった。
結果的に先輩達とはあまりにも仲が良すぎる為に、その中での礼儀が曖昧になってしまい、共同生活の中で率先して行動することをまったくしない私がいたのだった。

この時の先輩の一言は、私の中でも一生忘れられないものとなった。

この建築会社は、結果的に、一年数ヶ月という短い期間しか働いていなかったが、社会人初めてだった私にとって、この経験は、後に私の成長へ大きく影響している。

そう言えば、昔こんなことを話していたことがある。

1.私にとって、普通に大学に進学する人生

2.私にとって、大学に行かず、この先輩達と出会えた人生

どちらを選ぶかと言われたら、迷わず、後者2番の「この先輩達と出会えた人生を選ぶ!」
とよく話していました。

飛込み営業マン

その後、勤めることになった会社は、私も詐欺師的な親父の血を受け継いでいたこともあり、19歳で営業の道を選ぶ事になる。

まさに作業服からスーツに変った瞬間である。
時刻表の広告媒体の販売や浄水器をテレアポで販売する怪しい会社でフルコミッションに近い仕事を始めた。

会社のオーナーは、新宿で違法ギャンブル場を運営しており、超大金持ちだった、裏の業界では有名な方だったと思う。
何と言ってもベンツ560SELのトランクに数千万の現金を入れているような豪快な人だった。

ところで、私自身の仕事の実績であるが、これも親父の血を受け継いでいるのかもしれないが、私は意外と営業に向いていたようだ。

営業手法は、銀行や証券会社にひたすらテレアポして、広告媒体を販売していた。
今は潰れて倒産してしまったが、クライアントは、超大手の「長銀」や日興證券、農林中央金庫、商工中金、東京銀行・・」などである、テレアポで債権部長に繋いでもらい、契約を貰っていた。
19歳そこそこの若造が広告を売り込むって、今考えると我ながらあり得ないことだったと思う。
それが意外にも契約してもらえていたのだから驚きだ。
また東京のどこかの支店で契約をもらうことで、それをネタにして、地方支店へのテレアポをガンガン行なった。
「東京の○○支店で注文いただきましたぁ〜!」
の営業トークで地方の銀行も電話とFAXと郵送のみで開拓していった。
地方の場合は、稟議が通ると注文書がFAXで送られてくると言った具合である。
浄水器に関しても、新宿2丁目のゲイの人に販売したこともあったな〜!ちょっとやばかったけど・・何もなかった!ホントだよ!

その当時、契約を受注し、会社のオーナーに注文書を渡せば、その場で注文金額の一部を現金で払ってくれる仕組みだった。

※確か広告1枚に対して、@5〜7円位の歩合だったと思う。ちなみに長銀の大宮支店は、1回の発注で20万枚の発注を貰った。計算すると凄い手取だ。

今までの力仕事と比べて、なんてラクに稼げる仕事なんだと甘く考えていた時だった。

相変わらず、この仕事をしていた時も特定の家があったわけではなく、一緒に働いていた同僚と2人、会社で酒を飲みながら、応接のソファーでスーパーファミコンをして、疲れたら応接のソファーで毛布に包まって寝るという生活を続けていた。まさに毎日会社に寝泊りしていたのである。
また、想像を絶するのが、会社から2人ともスーツで銭湯に向う姿もかなり笑える絵だった!
朝の起床は、出社してくる事務員の女の人に起してもらうのが日課だったから驚きだ。

しかし、この会社も長く勤めることはなかった、辞める最大のきっかけは、オーナーが産廃系や不動産系の仕事が儲かるなどと言い出し、かなりヤバイ空気がでてきた辺りから、この会社を辞めることになったと記憶している。

クレジット詐欺

更に、この会社を辞める間際だったと思うが、度重なる災難が私に降りかかってきた。

またもや、親父の呪いである。

私が申し込んでいた「日本信販ニコスカード」を親父が使い込んでいたことが発覚したのだ。

カードの発行は通常本人確認が必要で、本人か保護者の承諾がないとカードが発行されないのだが、落とし穴はここにあった、親父自身が詐欺師であることが一般常識では考えられない落とし穴だった。

当然、カード発行時には、日本信販からの本人確認の電話があり、親父が代わりに私に知らせもせず「承諾」をしたのだ、そして、私の知らない間に親父がカードを受け取って、ガンガン使って150万円以上の借金に膨れ上がったという結果になった。

通常、キャッシングだけでは、こんな金額にはぜったいにならないが、

「親父はここがすごい!」

まず、キャッシングで全額を引き出す。
その後、デパートなどでカードを使い金券を購入し、購入した金券を金券ショップで即現金に換金する手口である。
また、限度額MAXになった場合は、決済のオンラインシステムを使っていない(その当時はまだあった)、複写式の紙でカード決済を処理しているアナログの店を利用し、そこで商品を購入し、卸などに売りさばき現金に換金するといった更に恐ろしい手口も併用している。

最後は、カードを限界まで使って、没収されるという運命を辿ることになるのだ。
親父に捕まったカード君は、灰になるまで使われつづけ、ジョーとホセメンドーサのようになる。

※その為、私は知らない間に、スーパーブラックとして金融業界にマークされることになるのだ。

当然、私宛てに、日本信販から取立ての電話が掛かってきたが、私は、何のことだか理解できないでいた。
その為、日本信販に出向き、カードを没収された場所などを聞いた瞬間に、あ!親父だ!と直感的にイメージが浮かんできた。
担当者には、親父が使い込んだはずだ!と説明したが、当然信じてはもらえなかった。
渋々、日本信販の担当が、私から親父の名前を聞き、親父の情報を債権管理の端末で検索した所、親父自身も日本信販に500万円以上の借金があることが判明し、更に衝撃を受ける。

やっぱりすげーこの親父!と感心してしまった。

この500万円という尋常じゃない債権がでてきたことにより、ようやく日本信販側も親父が使い込んだことを信じてくれた。

そこで日本信販が笑顔で優しく出してきた選択肢は2つだった。

1.親父に使い込まれた150万円を私が身代わりで払うか。

2.親父の借金500万円に加え、親父が私のカードで使い込んだ150万円の合計650万円の
  連帯保証人になるか。

と言うものだった。

私は、親父を告訴すると言う究極の選択をその当時思いつかなかった為、日本信販の口車にのり、痛みの少ない150万円を私が支払うことを選択した。

しかし、戻ってきて冷静に考えると、なぜ私が親父が作った借金を肩代わりする必要があるのか?
と疑問に思う!

そこで、私を高校に導いてくれた親戚の兄貴に一連の話を相談したところ、兄貴も過去、私の親父にカードを使い込まれていたようだった。

やっぱりこの親父すげー!と改めて関心。(もう笑うしかない!)

兄貴も息子のカードまで手を出したお前の親父は絶対に許さないと言ってくれて、私の為に弁護士を紹介してくれた。

それから、本格的に弁護士を通じて親父と争うことになった。
この時は、数年間と言う長期の争いが繰り広げられるとは思いもしなかった・・・
(まじめに大変だったよ)

ちなみに、余談ですが、自分の親父に内容証明を送ったことありますか?

送りつけた事がある人なんて私くらいだと思いますよ!

これが、親父から20歳になったばかりの私へ送られてきた、忘れられない最高のプレゼントとなった!

続く


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